
おはようございます。
笑う門には福来る!
笑わせ介護士の八福です。
前回、私が目指す介護の新3Kについてお話しました。
その中で稼げるというポイントについての可能性をお話しした時の、要素に「発展途上」という点がありました。
※※※※※※ 簡単に書くと ※※※※※※
介護現場は、まだまだ不明な事だらけです。穿った見方をすれば、介護施設を利用される方には、もう医療ではどうにもこうにもしようがない方がこられる場合もあります。特に認知症なんていい例です。入院が必要になっても、問題行動などあると、入院を拒否されるケースがあります。そんなある意味、医療から見放されている人たちに充実した余生を過ごしてもらう事が出来たら、それは社会的評価は高まりますよね。
※※※※※※ でしたね ※※※※※※
今日は、そのポイントについて、もう少し深く探っていきます。
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介護の目指すべきもの
介護の目指すべきものって何だかわかりますか?
少し考えてみてください。
・・・・・・・・・・・・
はい、正解だと思います。
はい、たぶんそれも正解だと思います。
はい、たぶんそれも・・・。
真面目なあなたが回答してくれたなら、きっとこんな結果になるでしょう。
そう、常軌を逸する事をしない限り、決して「正解」「不正解」というものがないのです。つまり、抽象的で非科学的であり、「正解」というある意味答え的なものは、自分たちが方向性を示す中で発見していかなくてはなりません。
これって、ある意味無秩序の中に秩序を見出す事であり、困難な事のように思えますが、味方を変えると、価値の創造が自由なわけです。
自分たちで価値を見出す事が出来ます。
もし、あなたがその現場のリーダーなら、自分の介護現場にどんな価値を見出しますか?(^_-)-☆
介護と看護は違う?
たまに、介護と看護の違いがわからないといった声も聴かれます。
また、介護と看護の仕事の境界線がわからないといった声もよく聴かれます。
この境界線ははっきりとしている点もあれば、曖昧な点もあると言っても良いと思います。
簡単なマトリックスで図示すると、以下のようになります。
上手は、あくまで私が介護業界で働きながら感じた役割を図示化したものです。
別に「正解」とか「不正解」とか、そういうのは置いておいてくださいね(;^ω^)
何が言いたいのかと言うと、こういった役割の明確化が描けていないと、「自分は介護士として、どこを目指せばいいのか」といった事がわからないまま、ただその職場のやり方を踏襲して、日々の業務をこなしているだけ・・・のようになってしまいます。
また、看護師さん達と、無駄な論争を繰り広げてしまう事にもなり兼ねません。
またさらには、介護士という職業が、「介護福祉士」は国家資格なのに、いつまでたっても専門職として扱われない、社会的地位の低いままで仕方ないといった事にも繋がり兼ねません。
是非、介護士としての役割は何なのか?自分はどこを目指すべきなのか?をしっかりと考えて、今の仕事を見つめ直してくださいね(^_-)
介護の社会的価値
先でも述べましたが、介護現場は、まだまだ不明な事だらけです。
若いうちは、元気な人でも、歳いって認知症になるかもしれません。
また、不摂生がたたって、生活習慣病になり、脳卒中などで体が不自由になり、頭はしっかりしているものの、体が自由に動かず、介護施設に入らないといけなくなるかもしれません。
若い時は身体障害、知的障害、精神障害とそれぞれの施設で分けられて生活していた人も、高齢者施設では、一緒くたにされる生活を余儀なくされるかもしれません。
全く違った生活環境で過ごしてきた人たちが、全く違う価値観を持った人たちが、一同に集う場所、それが高齢者介護施設です。
そう、まさにカオスなのです。
そして、そこで働く職員は、職員不足難にあやかり?、「資格不問」「経験不問」と、敷居が低く、ほとんど誰でもが入ってこれるような状況です。そして、仕事への不満、人間関係への不満、給料への不満などで、退職・入職の繰り返しで、次々に職員が入れ替わっていきます。専門知識や経験を持った人がどんどん来るわけではありません。
つまり、介護施設は、そのカオスに対して、自転車操業しているようなイメージです。
だからこそ、過去のブログでも書いたように、私が勝手に定義した、「無念期間」(平均寿命-健康寿命)をどれだけ充実した生活に出来るかで、あなたの介護士としての価値は、いとも簡単に上がります。
そして、その施設が社会的に高い評価を受ける事も目に見えています。
その混沌とした“るつぼ”に、整備のテコ入れをし、それぞれの人が生きている楽しみを如何に持ってもらえるかを追求することが、我々介護士の使命だと私は思っています。