
おはようございます。
笑う角には福来たる。
笑わせ介護士の八福です。
今日は、「介護」で健康になる!の第4弾です。
私が介護の仕事を続けられている理由の1つでもあるわけですが、介護の仕事は、とにかく本当に、
・色々な人生
・色々な価値観
・色々な家庭環境
に出会える仕事です。
そこから、人がこの世を生きていくうえで、人生においてとっても大切な事が学べないわけがありません。
だから、私は本当にありがたい仕事でもあると思っています。
読みたい場所へジャンプ
未来の自分がイメージしやすい
この仕事は、当然ですが、我々の人生の大先輩方のお世話をしているわけです。
つまり、ある意味、我々の未来がそこに反映されているのです。
ということは、自分自分の家族の、何年先、何十年先をイメージしやすいという事です。
では、どういった事がイメージしやすいのか?という事について、書いていきます。
認知症老人の対応
これから、認知症老人800万人時代に入っていく日本社会です。どこもかしこも認知症老人で溢れかえるような時代がやってくる事が想定されます。
しかし、そんな時代が来る事がわかっていても、我々日本人は巧く対処できず、「虐待」や「介護離職」、「介護殺人」などの、様々な社会問題を引き起こしています。
だからこそ、我々、介護現場で働く介護士は、色々な認知症の症例に触れ、様々な認知症老人に触れ、知識や経験を得ている為、かなりのアドバンデージがあるわけです。
障害への対応
高齢者施設には、認知症に関わらず、身体障害、知的障害、精神障害、と、本当に様々な障害をお持ちの方々が入居されています。
限定的ではなく、本当に多種多様な障害の方に対応しないといけないのに、対応する職員は、「学歴・資格・経験不問」です。ここにも大きな問題があるとは思いますが、逆に考えると、スポンジのように知識を吸収できるので良いのかもしれません。
この色々な障害や症例の方々に触れる経験は、本当に大きいと思います。
セーフティネットへの対応
よく、介護者が思いつめて虐待してしまった・・・という事はありますよね。また、不幸にも介護殺人及んでしまった、心中するという手段をとってしまった、などと悲しすぎる結末をまだまだ生んでしまっている日本社会です。
せめて、誰かに相談出来ていれば・・・
と、きっと誰しも思うと思います。私もそう思います。
でも、きっと、その当事者には、そんな余裕はないのでしょうね。また、まさか自分が・・・という思いもあると思います。
この業界にいると、様々なインフラを知る事が出来ます。また、介護施設に対する抵抗感なども、ほぼなくなります。だから、たとえ親に介護が必要になっても、フットワーク軽く動けるはずです。
色々な家庭像、価値観から学ぶ
不謹慎な話で申し訳ないですが、たくさんの入居者さんと接していると、
「こんな不遇な人生を送っておられる人がいるのか・・・。」
と、考えさせられる事がよくあります。
こんな状況でも元気に生きている
私たちは、成功や失敗を繰り返し、子供から大人になって、色々な事を受け入れながら成熟していくわけですが、極端に激しい生活の変化には、到底対応できません。
それに対応できずに、自ら命を絶つ人も多いのが今の世の中です。
しかし、この介護施設の入居者様には、
「よくこの状況で、元気に生き抜いてきたな・・・。」
と失礼ながら、思わずにはいられない人が多く、そんな出会いが多いです。
だからこそ、自分がたとえ少し不遇な人生を送る事になっても、
「なんとかなるよな。笑顔で生きなきゃな。」
と思わせてくれます。
理想の家族、理想の老後
その入居者さんによっては、絶えず、面会の人が来られる人もチラホラとおられます。
こういう人って、本当に昔の老人ホームのイメージはなく、まるで
セカンドハウスに住んでいる♪
かのように見えます。
完全に老人ホームを利用していますよね。
そう、利用者様なのですから、老人ホームを利用しないといけないんです。
老人ホームは「入れられる」ものではないですからね。
こういった人たちを見ていると、自分自身も、
「老後は、こうやってたくさんの人に面会に来てもらったりして、大好きな人たちに囲まれて死んでいきたいな。」
なんて、思ったりします。
人生の大先輩が、背中で示してくれている、良い例ですよね(^_-)-☆
死生観を意識して日々を生きる事が出来る
「死生観」については、過去のブログでも詳しく述べたので、割愛しますが、この仕事は本当に、人の死と隣り合わせの仕事です。
だから、「死」、「人の一生の終わり」というものを、否応なしに見せつけられます。
死を身近に感じる仕事
本当に、老人ホームにおいては、「ついさっきまで元気だった人が、急変して亡くなった。」なんて事は、度々あることです。
「死」というものを身近に感じずにはいられません。
いくら入居者さんといえど、認知症があるといえど、我々は24時間を通して接しているわけです。
人間ですから、情というものが湧きます。
いくら、暴言や暴力行為が酷くて、悩まされた入居者さんであっても、亡くなった日は、やっぱり心に空洞が出来ます。
そんな「死」を身近に感じる仕事ですから、死生観は自然と身についてきます。
人はいつか死ぬ
当たり前の事ですが、人はいつか死にます。
だからこそ、その「死」がいつ来ても後悔のないように、今を一生懸命生きたいものです。
私も自分が家族を持ったり、この仕事を始めたりするまでは、
時間は有限である事を、頭ではわかっていましたが、さほど心の奥深くまでは感じていませんでした。
この「人はいつか死ぬ。」と言う事を、心の奥深くまで染み入るように感じられたなら、日々の行動が変わってくるはずです。
介護の仕事って、それに早いうちから気づかせてもらえる仕事だな~って、つくづく思います。
「無」から生まれ、「無」へ帰る
なんか宗教じみて申し訳ないですが、私は決してなにか特定の宗教を猛信しているわけではありません(;^ω^)
私の経験で感じた事を書いているだけです。
私が大事にしている考え方の一つに、この考え方があります。
人の世は、すべて「無」から生まれ、「無」へ帰る
これもある時、心の奥深く腑に落ちた経験があり、それからは、自分の外側への執着というものが、とても薄らぎました。
たとえ、とても大切なものを手にしても、所詮は無から生まれたもの。無から生み出したもの。だから、たとえそれを失って、一時的に悲嘆に暮れても、それをいつまでも悔いる事はない。
この考え方が腑に落ちてからは、私は、心を病む事はなくなり、とても生きるのが楽になりました(^_-)-☆
本当に宗教っぽい話で申し訳ないですが、宗教的な考え方も、利用されるのではなく、自身のより良い人生の為に、利用しましょうね(^_-)-