
おはようございます。
笑う角には福来たる。
笑わせ介護士の八福です。
今日は社会問題になっている「介護離職」について書いてみたいと思います。
介護離職ってなに?なんで社会問題なの?
介護離職とは、家族等の介護によって、仕事を辞めざるを得なくなる状況の事です。
今、大きく話題になっていますよね。
下図は、介護離職者の推移のデータです。
https://minnanokaigo.s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/js/upload/images/20160215154856-01493.jpgより画像を引用
少し古いデータなので、あまり参考にはならないかもしれませんが、今後はもっと増えていくと思われます。
ちょうど親が70代~80代に差し掛かるころ、脳血管障害や認知症などの発症により、介護が必要になるケースって多いですよね。
つまり、親が70~80代という事は、その子供は、40代~50代である事が推測されます。
という事は、バリバリに働き盛りの年代ですよね。
社会をけん引するリーダーの世代ですよね?
そんな人達が、親の介護を理由に、第一線で働いていた職場を去ってしまうという事です。
そんな状況って、個人にとってもマイナスで、会社にとっても大きくマイナスですよね。ひいては、社会全体にとっても大きくマイナスになるという事です。
そんな背景を受けて、安倍内閣は、「一億総活躍社会」と銘打って、対策に動きだしたわけです。
あなたが、今何らかの仕事に就いているなら、まさか40~50代で退職を余儀なくされるなんて考えながら働いていないですよね?
しかし、それがかなり現実的になってきているという事です。
シングルマザーで子供を保育園に預けられない事はないのかもしれませんが、もし万が一預けられなかった場合の待機児童問題とよく似ています。
「どうやってご飯を食べていくんだよ!?」
「死ねってか?」
という切実な声が聞こえてきそうですよね。
この問題のポイントは、日本っていう先進国は、この豊かな時代に、こんな人間としての根本の問題が解決できないほどに、インフラが整っていないという事です。
介護離職が抱える大きすぎる問題
さきほど書いただけでも大きすぎる問題ですよね。
だって、「ご飯が食べていけない・・・。」という事は、その行きつく先は「死」を意味しますよね。
「ちょっとそれは考えすぎでしょ~。」と言われるかもしれませんが、そんな事はないです。
「餓死」とまではいかなくても、「介護殺人」という問題がリアルになっています。
「介護殺人」については、別の記事にて詳しく書きますね。
親の介護の為、離職を与儀なくされ、そして、献身的に介護をする毎日が続き、貯金を削りながらの生活をし、経済的にも精神的にも肉体的にもだんだんと限界が近づいていた時に、認知症の親から何回も
「だらだらと家にいないでいい加減に仕事しなさいよ。」
などと言われたら、思わず首に手をかけてしまう事があるかもしれません。
元気な時は、それが「認知症が言わせている発言」だと捉えられても、肉体的にも精神的にも参っている状態では、真に受けてしまいますよね。
こんなさなかでは、「一億総活躍」なんて言っている場合ではありません。
経済の発展の前に、この問題によって
殺人者と被害者を増やしてどうするの!?
こんな可哀そうな加害者って他にあるか!?
っていう事です。
何事もなかった時は幸せだった家族を、認知症という病気の為に崩壊させてしまう現状があり、明日にもまた新たな被害者が出るかもしれない。
人生の終着駅は、「家族を殺めた」という、人間界最大の不幸だった。
こんな事があっていいわけがないですよね?
介護離職を防ぎ、真に「一億総活躍社会」を実現するには?
国は、政府は、だいたいの方針の出どころは、財政問題からです。
介護・医療費の増大により財政の圧迫により、「患者を病院に長く留まらせる事は止めよう。」「老人ホームは自立支援の道をたどり、施設から在宅へ復帰させよう。」といった動きに世の中はなっていっています。
「自立支援」などと聞くと、聞こえはいいいですが、ベースとなっているのは、財政難からです。
特養(特別養護老人ホーム)への入居条件は、要介護1以上だったのが、3以上に変更されたのも、もうだいぶ前です。
年々、要介護者にとって、その家族にとって、生活を困難なものにする時代になっていっています。
なんだか逆行していってますよね?
「自立を支援する」といった考え方には私は賛成です。
しかし、そんなに簡単な事ではありません。
医療ではどうにもこうにも出来ない人たちが、老人ホームなどに入居してこられます。
そして、そのままレベル低下する方もいれば、水が合ったのか、奇跡的に自立される方もおられます。
しかし、現時点で確実な根拠があるわけではありません。
この最先端の医療でどうにも出来ない問題に対し、「科学的な介護を」と言って、それに期待することが、どれだけ危ういか。
という点にもっと着眼して考えて頂きたいものですね。